
ときどき生徒さんから、
「瞑想を毎日熱心に続けていたけど、だんだん”瞑想しなきゃ”と思いはじめていることに気づいて、最近は敢えて瞑想をやらないような日を作るようにしています」
なんていう話を聞きます。
瞑想をはじめて少しした頃か、もしくは新しいマントラの伝授を受けてちょっとした頃でしょうか。
だいたいは最初は「よし!やるぞ!」と意気込んで瞑想をはじめたけど、時間が経って少し気持ちが落ち着いてきた頃なのでしょうか。
本来の自分を自由に生きるために瞑想をはじめたのに、
いつの間にか「しなければならない」「ねばならない」という義務感に囚われている自分に気がついて、
それを矛盾に感じてしまうのだと思います。
真面目な方や、瞑想に意気込みを持って取り組んでいた方に多い気がします。
または瞑想はじめて時間が経過して、中だるみの時期?にも起こりやすいかも。
なので、それだけ熱心に続けているということでもあります。
確かに肩肘張りすぎると、視野がせまくなり周りが見えなくなることもあります。
そういう意味では、少しゆとりができたとも言えるのかもしれませんね。
でもでも、実は、わたしは瞑想しなきゃと思っていても、じゃあやめよう、しないでおこうと思ったことが
この13年で一度もないのです(笑)
もちろん自分が「瞑想しなきゃいけない」、そう思っている自覚がありました。
でもだからと言ってしないという選択はありませんでした。
シンプルに「しなければいけないこと」である以上に「大好きでしたいこと」だったのです。
しなきゃと思っている。でもそれは好きだから。
やりたいから。
だからやる。
しなければいけないこと。
それは自分がより自分らしくしあわせに。本当の自分としてのびのび生きたいから。
だから瞑想をする。
瞑想から受け取れる大きな恩恵。
それは自分にとって本当に大切なことだと深い部分でわかっていたから、
ただひたすら瞑想を続けたのかもしれません。
それにしても。
「しなきゃいけない」ということは何でもかんでも本当にダメなことなのでしょうか?
もちろんするしないはその人の自由です。
ただ、「しなければいけない、やらなきゃはダメ」というのも
スピリチュアル業界をはじめとして一般常識として染み付いた思い込みのひとつになってしまっている
気もするのです。
同じように「頑張らない生き方」というのも常識になりつつありますが。
どちらも結局は「時と場合、人による」
要はバランスじゃないかな〜と わたしは思っています。
頑張らない生き方をしてうまくいく人、いかない人がいるのを見ていると、本当にそう思うのです。
なので「やらなきゃいけないからやる」も「やらなきゃいけないと思ってるからしない」
も どちらもケースバイケースかな。
瞑想に関しては、わたしは逆に、そういう思いが出てきたときこそ瞑想をするときだと思っています。
(それ以外はそのときどきで)
だってわたしは過去の自分が「今、わたしは瞑想しなきゃととらわれている。だから今日は敢えて瞑想しないでおこう」
なんて思っていたら今の自分はないのです。
しなきゃいけない。でも好きだからする。
そんなことはありますか?
瞑想もそうなっていけるとしめたもの。
人生がより自由に味わい深く。いとおしいものになっていきますよ〜
あ、瞑想はじめてすぐに、カルマの解放で「こんな瞑想やめてやる!」と思ったことがありました!
そう気づいたとき、逆に敢えて瞑想する選択をしていました(笑)
詳しくは こちらのコラム 瞑想したくないという声に惑わされないで
2020年冬、またコロナウイルスの感染者が増えています。
アトリエスイレンにもセッションを予約した人から延期のお願いの連絡やお問い合わせがポツポツ来ています。
伝授の際に、アトリエスイレンではフォローは半年以内に来てくださいね、とお話ししていますが
コロナウイルスの感染拡大を心配して来るに来れない人もいると思うので、フォローの期限をコロナが落ち着いてからまでに延長します。
気になる人は落ち着いて安心してこれると思った時期に来てくださいね。
また、オンラインでのフォローも受け付けております。
一緒にアトリエで瞑想する方が瞑想を実感しやすいという声も多いですが、
今のタイミングで受けたいなと思う人はぜひ。
(※オンラインはお会いしたことのある方のみになります)
どうぞよろしくお願いします!
コメントをお書きください